(ミニ法話)  こころの泉

   50.一刀三礼(いっとうさんらい)

 昔の仏師は、本当の仏を彫刻しようとしたと言われています。依頼者の信仰の心を受け止めて仏を彫ろうとしました。
 例えば、観音さまの依頼を受けたとき、心眼(しんがん)で観音さまの姿が拝めるようになるまで水ごりをとって身を淨めたり、坐禅を組んだりして修業します。観音さまの像が心眼で拝めるようになると、仏像を彫るのにふさわしい生木(うぶぎ)を捜しに方々を旅します。思い通りの木が見つかると買い求めて帰ってきて、刻むということになります。
 工房の四隅に四天王を祀り、しめなわを張って四方を結界します。その真中に生木を置き、その前に香炉を供え、周囲に彫刻用の道具を並べておきます。道具はナタのような大きな刀から針のように細い刃物まであります。
 仏師は結界に入るとき、結界の外で香をたいて一拝し、香炉をまたいで中に入るわけです。そして、生木の前で心を統一して、生木の中にこれから彫ろうとする観音さまの姿が浮んでくるまで心を静めます。
 生木の中に観音さまの姿が拝めるようになったら初めて香をたいて一拝し、刀をとって香煙で淨め、彫刻を始めます。
 そのうちに心に焼きつけていた観音さまの像が消えると、彫るのをやめて刀を元にもどして結界から出て、外から一拝して結界の周囲をゆっくりと歩いて廻ります。これを経行(きんひん)といいます。
 このことを何度も何度も繰り返して彫刻を続けるわけです。これが一刀三礼(いっとうさんらい)です。一削りするごとに三返礼をすることが一刀三礼であると言われたりしていますが、そうではありません。そのような彫り方をしていたら、時間がかかって彫刻にはなりません。
 昔の仏師は、このように心を込めて彫っていたのです。仏像を彫ることがそのまま仏道の歩みであったように思えます。
 
        (平成21年11月)