(ミニ法話)  こころの泉

   51.通いあう心

 浄土宗の大徳に山崎弁栄上人という方がいました。上人がよく話された喩え話があります。「真っ赤に燃えた炭は人々を温かくし、皆から喜ばれる。しかし、燃えていない炭は手が汚れるし、温かくもない。ところが、燃えている炭に燃えていない炭を置いておくと、いつの間にか火が移って、真っ赤に燃えていく」
 法の伝わりは、このようなものだとよく話されたとのことです。法を伝えるのは人です。仏道に長じて境地が深まり、人格が熟している人に接すると、それは理屈を超えて、いつの間にか感化を受けることがあります。そういう人に巡り合えることは、大変幸せなことだと思います。
 親鸞聖人は越後への流罪の後、関東に約20年間滞在していました。聖人の関東の門弟の中に、覚信という人がいました。覚信は、信心のことで親鸞聖人に会うために高田(栃木県芳賀郡)を発ち、京都に向いましたが、途中で重い病気にかかり倒れてしまいました。
 同行たちは、引き返すことをすすめましたが、覚信は承知せず、「死んでしまうものであれば、帰っても死んでしまうし、ここにいても死んでしまう。また、病気が治ってしまうものであれば、帰っても治ってしまうし、ここにいても治ってしまう。同じことであるならば、聖人のもとで終りたい」と伝えました。そして、病をおして京都にたどり着き、聖人に会って目的を達し、間もなくして往生をとげたということです。
 臨終のとき、「南無阿弥陀仏 南無無礙光如来 南無不可思議光如来」と称えて、手を組んで静かに息を引き取りました。聖人は、「この臨終ほどすぐれたものはない」と言って涙を流したといいます。
 覚信の親鸞聖人を慕う信頼の心と聖人の門弟への慈しみの心が通いあった話だと思われます。

        (平成21年12月)