(ミニ法話)  こころの泉

  59.初志をつらぬく

 「初めも善く、中も善く、終わりも善し」というブッダの教えがあります。何かを始めるとき、初めは意欲的で張り切ってがんばりますが、しばらくすると中だるみがきて意欲もしぼんでしまい、ついに途中で止めてしまうことが多いものです。
 「主人は評判のいい本をよく買ってくるが、最後まで読んだことはない。いつも途中で投げ出してしまう」と嘆いている知人がいます。また、図書館で本を手に取ったとき、初めの何頁かは手あかで汚れていますが、真中あたりにくると汚れが少なくなり、最後の方はほとんど汚れていないということに気づいたことがあります。一冊の本でも、最後まで読むことのできない人が大勢いるということです。
 私は、高野山の修行道場にいました。道場を出るとき、多くの仲間は修行の志に燃えていました。ところが、一年ほど経過すると仏道修行する人は少なくなり、五年後にはもっと少なくなり、十年後にはほとんどいなくなっていました。初めの志を続けていくことがいかに難しいかということです。
 ブッダは、異教徒の中に入って法を弘めることを弟子たちに求められました。困難を伴うことが予想されます。
 「比丘らよ。遍歴せよ。人々の利益のため、人々の安楽のため、世間に対するあわれみのために。(中略)完全円満で清らかな修行を知らしめよ」と指示されました。志があっても困難に遭うと心が萎えて挫折しやすいものです。それを克服して人々のために教えを弘めることを求められたのです。
 初めは善くても、終わりが善くなければ、志は生きてきません。人生も同じようなことが言えるのではないでしょうか。若い頃はすばらしい活躍をしていても、晩年に道を誤ってしまう人がいます。「初めも善く、中も善く、終わりも善い」という教えは、ものごとをむらなくやりとげて、充実した人生を送ることの大切さを示している言葉だと思います。

        (平成22年8月)