(ミニ法話)  こころの泉

  61.人を敬う

 聖徳太子は、「和をもって宗となす」と言われていますが、道元禅師は、「敬いをもって宗となす」と語っています。禅師は、台所関係の心得を説かれています。その中で、台所にあるものは特にそれらを敬わなければならない。米をとぐ場合は、「米しらげたり(米を白くする)」と言ってはならない。「お米しらげたり」と言わなければならない。「椀」と言わずに「お椀」と言うべきである。また「皿」でなはく「お皿」と言わなければならないというように、「お」を付けなければならないと注意しています。
 このように食べ物でも物でも、すべて「お」を付けて敬わなければならない。まして人間は、互いに尊敬し合わなければならないとういことです。周囲の人を尊敬していくと、いくら自分が劣っていても、周囲の者が尊いのですから、その尊い者に育てられている自分も知らないうちに尊い者になっていく。何も知らなくても。ものを敬うことさえ知っていれば、いつのまにか立派な人になっていくとのことです。
 しかし、われわれは愚かであって、周囲の人を軽蔑すれば自分は偉くなると思って、彼は劣っているなどと悪口を言ったりしています。周囲の人をおとしめることによって、自分が偉くなると錯覚しているわけですが、周囲の人を皆劣った者にしてしまうと、その劣った者に取り巻かれ、感化されている自分もいつのまにか劣った者になってしまいます。人をみさげたり、さげすんだりすると、それがやがて自分に返ってきて劣った人間になってしまうということです。
 『法華経』の中に出てくる常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)は、人を敬うという行為一つで悟りを開かれました。道元禅師のこの教えは、人を敬うことによって、自分も敬われるようになるとの導きです。

        (平成22年10月)