(ミニ法話)  こころの泉

  63.人の道

 江戸時代、集金専門の飛脚屋が二百何十両という大金を集金して大坂の商人に届けていた途中のことです。近江の近くで馬子を雇い、馬の背に揺られてうつらうつらしているうちに宿に着きました。一風呂浴びて一息入れたとき、大金を鞍にくくりつけたまま持ってこなかったことに気づきました。すでに半時も前に馬子を返しています。当時のことですから、どこの馬子とも知れず、己れのうかつさ、愚かさに失望落胆していました。一両あれば一年は暮らせるというような時代の二百何十両は、大変な金です。絶望的になった飛脚屋は、死んでお詫びをしようと遺書をしたためていました。
 そのとき、下の方が騒々しくなって、宿の亭主が「飛脚屋さん、金がもどりましたよ」と部屋に駆け込んできました。夢かと思って下りてみると、先刻の馬子が笑みを浮かべて立っていました。困っているだろうと思って、何里もの道をわざわざもどってきたというのです。
 飛脚屋は、八両包んで感謝の気持ちを受け取ってもらいたいと差し出したのですが、馬子は受け取りません。「私の気が済まないから」と言って渡そうとするのですが、頑として聞き入れません。見るに見かねた亭主が「半分でも」と言っても馬子は受け取らず、「そんなもん貰って帰ったら、先生に叱られます」と断わりました。
 先生とは、儒者の中江藤樹(なかえとうじゅ)のことです。日頃から中江藤樹の話を聞いていた近江の村人たちに、人の道の教えが染み込んでいたということです。文字を読む力のない馬子も立派な教えを身に付けていたということです。
 現代の日本では知識を教え込むことは熱心ですが、人の道を教えることが疎かになっているように思えます。知識はもちろん大切ですが、それだけでは人間は育たないものです。

        (平成22年12月)