(ミニ法話) こころの泉
66.闇路を歩く
ある一人の盲人がいました。その盲人は、夜外出するとき、提灯を持って歩いていました。周囲の人たちは、盲人が提灯を灯して歩いても、何の役にも立たないだろうと噂していました。ある人がその噂話を盲人に伝えると、「確かに私は眼が見えないので、提灯を持ったからといって直接には何の役にも立たない。しかし、眼の見える人はこの提灯を見て、道を避けてくれます。そのため、人に当たる心配はありません」と答えました。これを聞いて皆感心してしまいました。
ある夜のことです。その盲人が提灯を持って歩いていたとき、誰かとぶつかってしまいました。彼は腹を立て、「この提灯が分からないのか。人を馬鹿にするもんではない」と相手に文句を言いました。すると相手も同じように、「お前こそ人を馬鹿にしている。俺の提灯が見えないのか」と食ってかかりました。二人は、言い争いを始めました。
そのとき、たまたま通りかかった人がいて、二人の争いを見て仲裁に入りました。二人とも盲人であり、二人の持っていた提灯の火が共に消えていたことを知らされて、お互いに苦笑して別れたということです。
笑い話のような内容ですが、単に笑い話では済まされないものがあります。智慧の面では、われわれは盲人と同じではないのか。凡夫の迷いの眼でものごとを対立的に見て、それが正しいと考えているが、仏の眼から見れば、誤った見方をしていることになります。そういう点からすれば、二人の盲人を決して笑うことができないと思います。
仏の正しい教えという提灯を手に持って歩かないと、迷いと苦悩の多い人生の闇路を無事に歩いていくことは難しいのではないでしょうか。
(平成23年3月)
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