(ミニ法話)  こころの泉

   67.心の平安

 昔、インドにある金持ちの女主人がいました。親切で、しとやかで、控え目であったので、大変評判がよかったのです。その家に一人の使用人がいました。よく働くなかなかの利口者でした。
 あるとき、その使用人は、「うちの主人は、よくできた人だと世間から評価されているが、根からそうなのか、あるいは、恵まれた境遇がそうさせているのか、ひとつ試してしよう」と考えました。
 そこで使用人は、次の日に早く起きずに、昼頃まで寝ていました。そのことを知って女主人は、「なぜこんなに遅くまで寝ているのか」と使用人を咎めました。「一日や二日遅く起きたからといって、そう腹を立てるものではありません」と言葉を返すと、女主人は怒って機嫌を悪くしてしまいました。
 使用人は、次の日も遅く起きました。すると女主人は、激しく怒って棒で使用人を叩きました。このことが世間に知れわたり、女主人はそれまでのよい評判を失ってしまったのです。
 誰でもこの女主人と同じことだと言えます。ものごとが順調で、状況が思いどおりになっていると、控え目で人に親切になり、静かで落ち着いた状態でいることができます。しかし、問題は状況が反対になっても、そのような状態でいられるかどうかです。たとえば、人から悪口を言われたり、中傷されたときはどうか、病気をしたり、逆境に陥ったりしたときにも平安な心を保つことができるのかどうかということです。
 身のまわりの状況がすべて心に適っているときだけ心が平安であっても、それは人間ができているとは言えません。反対の状況になっても、心の平安を保ち続けることのできる人こそよくできた人といえるとの教えです。

        (平成23年4月)