(ミニ法話)  こころの泉

    68.我の対立

 昔、インドに信仰があつい青年がいました。父親の死後、母親と二人で生活していましたが、やがて青年は嫁を迎えて三人で暮らすようになりました。初めは互いに仲よくして平和な家庭を築いていましたが、些細なことから母親と嫁との間にゆきちがいが生じ、波風が絶えなくなってきました。二人の対立は容易に治まらず、ついに母親は家を出てしまいました。
 母親と別居した後、嫁に男の子が生まれました。「姑と一緒にいるときは口やかましかったので、めでたいことは何もなかったが、別居するとこうしてめでたいことが起きた」と嫁が言ったという噂が姑の耳に入ってきました。
 姑は大変腹をたて、「世の中には正しいことがなくなった。母を追いだして、めでたいとはどういうことなのか」と気が狂ったようにわめいて墓場へ出かけました。このことを知った墓場の神は、姑の前に現われて、いろいろ諭しましたが、姑の怒りは治まりません。
 そこで神は、「それではお前の気のすむようにこれから憎い嫁と孫を焼き殺してやろう。それでよいであろう」と伝えました。この神の言葉に驚いた姑は、冷静になって自分の間違いに気付き、嫁と孫の助命を願いました。嫁も冷静になって心得違いを反省して、夫と二人で母の許に詫びに行く途中、墓場で母と神に出あったのです。神は、その場で姑と嫁を和解させて、元の平和な家庭にもどらせたということです。
 ほんのわずかな誤解もやがて災いになる。心と心の小さな食い違いも不幸をもたらすものであるとの教えです。これは人と人との我の対立から生じるものです。互いに我執がはたらいている限り、対立は解消されないものです。我執をコントロールできるように努める必要があります。

        (平成23年5月)