(ミニ法話)  こころの泉

       75.仏縁を喜ぶ

 「縁無き衆生は度し難し」という言葉があります。これは、仏縁の無い人々は救うことはできないとの内容になりますが、ブッダが直接説かれたものではありません。仏縁の無い人々は救うことはできないが、仏縁の無い人は一人もいないので救われるとの意味が含まれています。もし本当に仏縁の無い人がいれば救うことはできないが、仏縁の無い人は本来一人もいないので皆救われるということです。
 世の中には、何でも運次第として運を受け止める人がいます。運がよいとか、悪いとか思って、それで済ましてしまう人がいます。たとえば、歩行中に石につまずいて倒れて運が悪いとする。お金を落としたり、忘れ物をして運が悪いとする。人から何か品物をいただいて、今日は運がよいと思う。このように何でも運ということで片付けてしまうわけです。若い頃はそうではありませんが、年をとっていくと、世の中のことは自分の思い通りにはならないということが分かってきますので、「人の力でどうすることもできない。すべて運次第だ」と決めて、あきらめてしまうという人もいます。
 このようにすべて運だとしてあきらめようとする人は、仏縁の無い人に見えるかもしれません。しかし、仏の眼から見れば、仏縁の無い人は一人もいないのです。ただ、その仏縁が今すぐに結びつくのか、しばらくしてできるのか、何年も後にできるのか、それは一人一人違うわけですが、結局すべてに人に仏縁があると見るのです。また仏縁があっても、仏縁が無くなる場合があります。それは縁が切れたのではありません。今は縁が隠れたのであって、いつの日にかまた縁がもどってくるであろう。そのときには救いの手を差し伸べてあげよう、と仏は待っておられるのです。今仏縁のある人は、喜びとしなければらないと思います。

        (平成23年12月)