(ミニ法話)  こころの泉

      80.全力を注ぐ

 仏教では、ブッダのことを獅子に喩えています。これは、獅子が獣の中で一番強いということから、最も勝れているブッダを獅子と称したわけです。この意味だけでなく、いつでも全力を注ぐという内容も入っています。
 ブッダが法を説かれるとき、相手が愚者だからいい加減に説くということはありませんでした。獅子がどんなときにも力をゆるめずに獲物をねらうように、智者でも愚者でも同じように説かれたということです。
 中国の清朝の始めに魏叔子(ぎしゅくし)という詩文に大変長じた人がいました。彼は、文章を書く秘訣について、長い文章を書こうと思うならば、一行か二行の文にも全力を注ぐようにしなければならない。短い文にも全力を注いでいれば、長い文章を書く場合でも、本当に力の満ちた文章が書けると教えています。正に「獅子兎をうつに、なお象をうつが如くす」との内容と同じです。獅子が兎を捕らえるとき、象を襲うときと同じように力を入れる。そのようにしているから、象を襲うとき、兎を捕らえるときのように力を出すことができるということです。つまり、小さな事を行うときに全力を注ぐ者は、大きい事を行うときにも立派にできるという心構えを、示したものです。
 確かに小さい事にでも全力を尽くす人は、平生から十分に力が養われていますから、大きな事をするにも案外楽にできるわけです。徳川将軍の指南役であった小野次郎右衛門という剣の達人が、「竹刀を持つときに真剣を持つつもりでやれ、そうやっていれば真剣を持ったとき、竹刀を持つようにたやすくなる」と言っています。
 小さい事に力をゆるめるような者は、大きな事はできない。いつでも全力を注いで行うという心持ちがあれば、重大なことにあっても、必ずその任をよく果たすことができるといえます。

        (平成24年5月)