(ミニ法話)  こころの泉

       83.仏種

 『法華経』に「仏種は縁に従って起こる」とあります。仏になる種、すなわち可能性は縁によって起こるとの意です。ここに言う縁とは、仏の教えのことです。つまり、仏になる可能性は、教えによって出てくるということです。そのことは教えの縁によらなければならない、自分の力だけでは可能性は出てこない、じっとしているだけでは仏になる可能性は出てこないとのことです。正しい教えを学び、身につけて、仏になる種を育てていくことより他に道はないというのが、『法華経』のこの教えです。
 喩えていえば、梅の種は固くてごつごつとしてきれいな形ではありませんが、歯で噛んでも割れないほど固い種の中から芽が出て、成長して幹となり、枝が伸びて花が咲き、実を結ぶようになるわけです。それらのすべての性質が、固くてごつごつした種の中にあるのです。しかし、いくら実をつける性質を持っているといっても、種をじっと見ているだけでは、花が咲いて実をつけることなどあり得ません。そうなるためには、まず種を土に埋めなければなりません。水も肥料もやらなければならず、太陽の光も必要となります。そのようにして花が開き、実がつくわけです。
 それと同じように人が仏になる可能性を持っていても、可能性の種を育てるようにしなければならないということです。そのために仏の説かれた正しい教えを聞き、思惟理解し、実修する必要があります。
 実修を重ねていくと境地が深まってきます。深まることは、熟していくことでもあります。それによって境地の深まりを自覚することができるようになります。そうなればますます仏となる可能性が見えてきて、そのことを信じることができるようになります。
 可能性を大切にし、育てるようにしたいものです。

        (平成24年8月)