(ミニ法話) こころの泉
89.変わらないもの
常住ー無常ー常住という道筋があります。変化の理を知らない段階では、常住という考えをもっています。常住とは、ものごとは変わらないということです。たとえば、樹木の葉はいつまでも緑だと思い、月が満ちていればいつまでも満月のままであるととらえるなどです。また、地位の高い人は人はいつまでも高い地位についていたい、名声のある人は名声を失うことなくずっと名声のあるままでいたいと願うこともそうです。
ところが、木の葉は秋になれば紅葉し、やがて散ってしまいます。鮮やかな花もそのうちに萎れて落ちてしまい、満ちた月もすぐに欠けてしまいます。地位の高い人は勢力が衰えて地位が下がり、名声を得た人も世間から忘れられていきます。これらのことから同じ状態で続くことは何もないと学ぶことができます。この気づきは、無常の理を知ったことになります。無常が分かると、常住という考え方は間違いであると気づくようになります。
しかし、樹木の葉が散ることは無常だが、やがて春になれば芽が出て葉になり、また秋になると散ってしまいます。花が萎れて落ちることは無常だが、季節がめぐってくればまた咲き、そして枯れていきます。月が満ちて欠けることは無常だが、やがて満月になり、また新月にもなります。これらの繰り返しは、永遠に変わることはありません。このような無常の展開は一貫しており、変わらないものです。つまり、このことは不変という意味において常住にほかなりません。
あらゆるものごとは無常であることをしっかりと知っておく必要があり、その無常を貫く変わらない理があることも知っておくことが大切です。
人生にとって努力、忍耐、克己心、謙譲の心、道徳心、人格を磨くことなどは、いつの世でも常住であるといえます。
(平成25年2月)
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