(ミニ法話)  こころの泉

        92.自制の心

 平成7年に阪神大震災がありましたが、被災者は混乱することなく順番に並んで食糧等の配給を受け取っていました。店を壊して品物を略奪するようなことはありませんでした。市内のある区には韓国人をはじめアジアの人々が多く住んでいましたが、その人たちを差別することなく日本人と同じように食糧や水などを手渡していました。そのような日本人の態度を外国メディアは賞賛したのです。特に日本に厳しい韓国メディアも日本人の行動を絶賛しました。
 東日本大震災の時も寒い中、不平不満を言わず、秩序を乱すことなく食糧等の配給を順序よく並んで受け取っていました。外国からの救援活動にお礼を言い、お互いに助け合う姿を見、また被災していても思いやりの心を忘れない日本人の態度に海外のメディアは賞賛しました。
 ところが、大正12年の関東大震災を経験したときはそうではなかった様です。食料品を売る店のガラス窓が壊され、店の中へ大勢の人が入り込んでビスケットや菓子、食料品などを平気で持ち出していたそうです。中には20歳前後の女性がふところや袂にいっぱいビスケットを入れて出てくると、15,6歳の男の子がいきなりその女性の袂からビスケットをつかみ出して自分のポケットにねじ込んでいたそうです。これを目撃した人は、「人間というものは浅ましいものだ。平生偉そうなことを言っているが、こういう時になると修養のない人間は実に情けないものだ」と書き残しています。
 当時と比べて、日本人の資質が根本的に向上したとは言えません。社会が豊かになっているので食糧は必ず配給されるという安心感を皆持っており、また教育のレベルが上がって感情を抑制する力が身についた日本人が多くなったということが自制の態度になったのではないかと思われます。自制の心は、いつの時代にも必要だと言えます。

        (平成25年5月)