(ミニ法話)  こころの泉

        94.仏の心

 仏は、自分と同じ心になってもらいたいとの願いをもってわれわれにはたらきかけてくれています。だが、すべての人が仏と同じようになったらどうなるのか、人はそれぞれ違っているからいいのであって、皆が仏と同じような心になって同じような行動をとれば、世の中は少しもおもしろくないと言う人がいます。これは妄見です。
 「仏さまのような人」という表現があります。これはよい意味で使われていないことが多いものです。嘘をつかれてだまされているような人を「あの人は仏さまのような人だ」と言ったりします。また、悪口を言われようが、冷たくされても何も言わずにじっとしている人を「仏さまと同じだ」と表現することもあります。だまされるような仏さま、何も言わない仏さまなら、仏さまというのは操り人形と同じだということになります。
 唐の時代に妙楽という僧が、仏に成ることについて、「仏に成るということは、鉱山から鉱石を集めてそれを砕いて金を採るようなものだ」と語っています。余分な物を取り除いて金だけにしてしまうことが仏に成ることだというわけです。そして、「金の塊をそのままにしておくことではない。金が得られると、その金は何にでもなる。髪の飾りにもなるだろうし、置物や部屋の飾りにもなる。多くのものに利用することができるのだ。人が迷わなくなって、仏のような智慧を具えることになれば、どんな地位にあっても、どんな立場にいても、それぞれが使命を果たして、完全な行ないができるのだ。それが仏の智慧を具えるということで、金にして金の塊を置いておくことではない」と説いています。
 仏に成るとは、智慧を得たということです。その智慧で人々を救っていくという無尽のはたらきが仏の心であるといえます。

        (平成25年7月)