(ミニ法話)  こころの泉

        95.無常迅速

 ブッダが祇園精舎に滞在していたとき、修行僧たちに次のような説法をされました。
 「比丘たちよ、たとえば、ここに弓術の達人が四人いたとする。そこに一人の男がやって来て、彼等に『あなた方四人が東西南北の四方に向かって弓を放つならば、私はそれらの矢が地面に落ちる前にすべての矢をつかんでご覧にいれます』と言ったとする。比丘たちよ、私にはとてもそんなことはできないと思うが、もしそれができるならば、その人は大変な速さをもった人と言わねばならない」
 「世尊よ、まったくすばらしい速さであります。一人の弓の達人が射た矢を落ちる前につかんだとしても、その人は大変な速さをもつ人です。それなのに先程の男は、四人の弓の達人が四方に向かって放った矢を地に落ちる前にとらえるというのですから、その速さに驚くというほかありません」
 この対話の中で、ブッダは修行僧たちに何を説こうとされたのでしょうか。それは、無常迅速(むじょうじんそく)の理を彼等に印象づけるためでした。さらにブッダはつづけられます。
 「比丘たちよ、だが、その男よりもっと速いものがある。日や月の天を走る速さよりも、さらに速いものがある。人間の寿命のうつりゆく速さは、日や月の天を走る速さよりもさらに速いのである。よって我等は怠けずに努力しなければならない」と。
 この教えを後世の仏教者は、「生死事大なり、無常迅速なり、心をゆるくすることなかれ」と言って、仏教者の大切な心得としました。あらゆる変化を含んでいる迷いの人生を生死(しょうじ)と言います。人生は無常であり、その変化は速いものである。そのため努力の持続を怠ってはならないというのがブッダの姿勢です。

        (平成25年8月)