(ミニ法話)  こころの泉

       97.三つの行為

 仏教には八万四千の法門と言われるほど大変多くの教えがあります。現世の苦しみから救われるためにはどのような生き方をすればよいかがその教えの精神だといえます。そのために無常・無我・縁起・苦・涅槃などの教えが説かれてきました。
 誰もみな苦のないやすらぎの人生を求めていると思います。しかし、思い通りにならないところに人間としての苦悩があります。そこを仏教は多種多様な表現で説き示してくれているのです。それらの教えを生かすためにはどのような心構えが必要なのでしょうか。
 それには、まず正しい教えを知ることです。ブッダを始め過去の偉大な仏教者は、実に勝れた多くの教えを説かれています。そのためそれらの説法の内容を正確に知る必要があります。正しく知らなければ、教えを信じることはできません。たとえば、2と3を足すと5になることは誰でも知っています。7になると言ってもだれもそうは思いません。それは正しく理解しているからです。5になることは本当だと分かっているから6になるとか8になるという人はいません。これと同じく仏教の教えが本当にそうだと納得したならば、それを信じることができます。信じることができれば、知るだけでは物足りなくなってきます。そこから実践しようという心が生まれてきます。もし信じることがなければ、実践することはないと思います。
 そして、正しく実践することによって、救いの光明が見えて来ます。正しく知れば教えを信ずるようになるし、深く信ずればその教えを実践するようになるということです。
 教えが実践として現われなければ、正しく知ったということでもないし、深く信じていることにもなりません。正しく知ること、深く信じること、実践ば別々にあるのではなく、本来一つのものだといえます。

        (平成25年10月)