(ミニ法話)  こころの泉

       98.信の力

 仏法に接して仏の力を信じ、その力を身に付けた人は、苦難に遭っても苦難を乗り越えようとします。そこから仏法を世に弘めようと決心した人もいました。日蓮聖人もその一人です。
 上人は、50歳の11月から51歳の4月まで佐渡の塚原という土地に島流しにされました。この地は湿気の多い草むらの窪地で蛇が多かったので蛇窪と呼ばれていました。またそこは、流人が死ねば死体をそのまま捨てた所だったのです。死人を弔うために、そこに一間四方のお堂がありました。
 上人がそこに住んでいた時には仏像もなく、床板もなく、屋根や壁に穴があいているといった状態でした。お堂というよりは物置小屋のようなものです。床板がないから土間にわらを敷いて坐るといった有り様でした。佐渡の11月末から翌年の2月頃まで、雪の降らない日はほとんどありません。屋根の穴から雪が入ってくる、壁の穴から寒風が吹き込んでくるといった状況でした。普通の人なら3日も我慢ができないかもしれません。上人は、そこで5ヶ月間過ごしたわけです。
 上人を佐渡に島流しにしたとき、どうせそこで死ぬであろうとの考えがありました。昔から佐渡に流されて生きて帰ったという例はなかったからです。食べ物は2日から3日に一度届けてくれるだけでした。当時の50歳といえば老体です。非常に過酷な状態であったに違いありません。そんな苦難の中で、『開目抄』という代表作を著しました。字も大きく、筆力も強く、教義も立派な内容とされています。
 このような迫害の中で業績を上げることは、並外れた信念と『法華経』への信の力をもっていたからだどいえます。信には、隠れている可能性を引き出す力があるのではと思っています。

        (平成25年11月)