(ミニ法話)  こころの泉

       99.徳の高さ

 昔のインドの話です。ある学者が王宮へ行って王の前で堂々と自説を述べたところ、王は大変感心して、「おまえは実に偉い。珍しい学者だ」と賞賛してくれたので、学者は誇りに思って王宮を後にしました。その帰り道犬に吠えられました。「これはいけない。王の前ではうまく論じたが、犬に負けてしまった。口先では上手に話せても、犬をごまかすことはできない。犬はよく知っている。どっしりとしたところがないから犬に吠えられたのだ。自分には心の徳がないから駄目だ」と反省したということです。
 人からわがままで陰険な性格だと指摘されている男性がいました。口がうまく愛想よく人に接するので、初対面の人には受けがよかったのです。彼がある家に行って愛想よくしていたが、子供たちは誰一人として近寄らなかったということをその家の人から聞いたことがあります。口先で愛想よくしても眼が笑っていなかったとのことでした。大人をごまかせても、子供の純粋な心をごまかすことはできなかったということです。本当に徳があれば、何も言わなくても子供は懐いてくるのだと思います。心の徳が現われてそうなるのだといえます。
 勝れた徳や偉大さを表現したのが仏の相であり、仏の三十二相と言っています。たとえば、頭の頂上が一段と盛り上っている、眉間に白い柔らかい毛があるとか、皮膚はなめらかで黄金色をしているなどの人間の姿を超えた表現はそのことを表わしています。
 心に徳があれば、自らの顔の相として現れるのは疑いのないことです。徳の高い人と向き合っていると頭の下がる思いがするのは、徳の高さを感じるからです。そして、何か心に染み入るような声として耳に入ってきます。徳の高さが顔や声に現われてくるので、ごまかしようがありません。このような人がほどんどいなくなったことは残念なことです。

        (平成25年12月)