(ミニ法話)  こころの泉

      101.知識を生かす

 室町時代に古典・仏教に通じ、和歌にも長じていた一条兼良という人がいました。関白太政大臣にまで出世し、また博学多才な学者でもあり、世間の信用を得ていました。
 かつて兼良は、次のように言ったことがあります。「世間では日本の学者の中で、菅原道真は菅公と言われて非常に尊敬され、天満宮に祀られている。しかし、考えるにたわいない話である。自分の方が菅公より勝れている。今このように皆の前で生きているものだからつまらないと思うかもしれないが、自分の方が菅公より上だ。三つ勝れていることがある。道真は右大臣で終わったが、自分は関白太政大臣にまでなったのだから自分の方が勝れている。道真は筑紫に流されて筑紫の田舎で終わったが、自分は都で信頼を得ているのだから自分の方が上だ。それから道真は大した学者であったが死んでからもう四百年になる。道真は死んだ後の書物は読んでいない。自分は道真が死んだ後の書物もすべて読んでいるから、自分の方が偉いのだ。だから皆は天神さまなどと拝むより私を尊敬した方がよい」
 死んだ人の後に出た書物は後の人しか読むことができないのですから、確かに知識量は多いといえます。しかし、どうでしょうか。現在、菅原道真を多くの人は知って尊敬していますが、一条兼良を知っている人はあまりいないのではないでしょうか。また、死んだ人より後の人の方が書物を多く読んでいるからといって偉いとは必ずしも言えないと思います。知識量が多いことは何も偉いことではありません。博識であっても、ただ知っているだけでは宝の持ち腐れです。 知識を自分だけのものにしておくのは我欲のはたらきです。そうではなく身についた知識を世の中に役立ててこそ、知識が生かされるものだと思います。

        (平成26年2月)