(ミニ法話)  こころの泉

       103.誠を尽くす

 ブッダの弟子の中には、舎利弗(しゃりほつ)のように大変機根の勝れた人がいれば、般特(はんどく)のように機根の劣った人もいました。般特は物覚えの悪い男で一度に一つのことは覚えられても、二つのことは覚えられないという厄介な人間でした。お前の名前はこうだと教えてもらうと、自分の名前は分かるが親の名前を忘れてしまう。親の名前は何々だと教えてもらうと親の名前は覚えるが、今度は自分の名前は忘れてしまうというほど物覚えの悪い男でした。
 あるとき、フッダが修行僧たちを前にして説法されているところに般特が通りかかって、ブッダの弟子になりたいと願いました。話をしてみると、物覚えは悪いが何か見るべきところがあると考えられて、ブッダは彼を弟子の中に加えられました。
 般特は鈍根な男でしたが、ブッダに帰依する心は人一倍強かったのです。ブッダから掃除を命じられて掃除ばかりしておりました。掃除を続けていると、そのうち次第に心が明るくなってきて、ついに阿羅漢の一人に数えられるようになりました。自身も大変喜んだが、ブッダも教え導いたかいがあったことを喜ばれました。
 誠の心があれば般特のような愚鈍な者でも、聖者になることができるとの話です。いくら頭がよくて知識があっても、誠の心がなければ修行がすすまないということです。誠の心とは何かといえば、ブッダを信頼し、ブッダの教えを信じて、怠ることなく努力を続ける一途な心です。この心がなければいくら機根の勝れた人でも、修行の成果を得ることはできないといえます。
 ブッダは機根の優劣で人を区別することなく、その人に応じて平等に導かれました。そのため修行僧たちは、ブッダを信頼し、教えを信じて努力を続けたわけです。誠の心は大きな力となるものだと思います。

        (平成26年4月)