奈良歴史漫歩 No.065     彷徨う轟(とどろき)橋      橋川紀夫

 奈良八景と称して文献に最初に登場するのは、室町時代の京都相国寺鹿苑院蔭涼軒(おんりょうけん)主が記した『蔭涼軒日録』寛正6年(1465)9月26日の条においてである。東大寺鐘、春日野鹿、南円堂藤、猿沢池月、佐保川蛍、雲居坂雨、轟橋旅人、三笠山雪と記載される。江戸時代に入ると、八景は奈良名所絵図やガイドには必ずと言っていいほど挙げられて、観光奈良のイメージ作りに大きな役割を果たしたと思われる。

 八景は奈良をもっとも代表する風景として生命を持ち続けているが、中には、今となっては注目されなくなったり、所在地にも異論が出るようになった景観がある。

 雲居坂雨と轟橋旅人である。雲居坂は東大寺西大門跡の西を南北に伸びる坂をさし、南から北へゆるやかな下りとなる。平城京の東京極である左京7坊大路であり、興福寺と東大寺の境界であった。また、奈良と京都をむすぶ街道の起点でもある。地名で云えば奈良市押上町になる。古歌に次のようにある。

 村雨の晴れまにこえよ雲居坂三笠の山はほど近くとも  藤原為重

 今は車がせわしく行き交って、雲居坂雨の風情を偲ぶのも難しい。

 


東大寺西大門跡に立つ一里塚
 轟橋旅人の轟橋がどこにあるのか、地元の人間も多くが首を傾げるのにちがいない。西大門跡の南は緑地帯となって、みどり池と呼ばれる南北に細長い池がある。水は濁って浅く緑色をおび、岸の松が影を落とす。西側の岸に「轟橋」と刻んだ石碑が立っている。石碑の前は雲居坂で、周辺に橋があるわけでもなく、説明もつかないので、事情に通じていない人には何のことかわからないだろう。

 「轟橋」の石碑が建つちょうど前の歩道は、敷石とは異なって長方形の石が3枚並んではめ込んである。跨いで越えられるほどの、この石が、実は轟橋の跡なのだという。『大和名所図会』(1791年)の図版には、「とどろき橋」と記した溝板のようなものが、雲居坂を横断して興福寺の子院とみどり池をつないでいるのが描かれる。『奈良曝』(1687年)では、「轟橋。雲井坂の南ニみどりか池のほとりにわづか成はしあり。車三りょうならぶゆへにかくいふとかや」と説明する。『大和名所記』(1682年)も、「轟橋。東大・興福両寺の中間、押明の門(西大門)の南のほとり。此橋のならびの北に雲井坂あり」とあり、これらの図版、説明が根拠になって、轟橋石碑ができたことがわかる。

 しかし、話はこれで終わらない。『奈良坊目拙解』(1735年)の中で、村井古道は異説を展開する。雲居坂が北に下り平坦になるあたりで、吉城川が東から西へ流れる。この川にかかる従弟井(いとこい)板橋=現威徳井橋が轟橋だと主張する。古道は、通説の轟橋を緑池樋口小橋とよんでいるが、それは樋口の溝に蓋をしたものであったことがわかる。それ程度のものを橋とすることに、合理主義者の古道は違和感を持ったにちがいない。


雲井坂の歩道に残る手前の三つ並んだ板石が轟橋の跡か。右手の芝生に立つ黒い石が「轟橋」石碑

 古道は自己の説を証明するために、2つの理由をあげる。八景の順番は第四左保川蛍、第五轟橋旅人、第六雲居坂雨と続くが、これは地形的に左保川と雲居坂の中間に轟橋があったことを意味するから従弟井板橋が轟橋だという。もうひとつは、八景の半々が東大寺と興福寺に関わって設定されているから、緑池樋口小橋を轟橋だとすると興福寺に関わるものが五つとなってバランスが崩れるという。

 古道の説の影響か、『大和志』(1736年)では、轟橋を「宜寸川(=吉城川)を跨ぐ」とする。また現代の『奈良県の歴史散歩』(1993年)でも、轟橋を「吉城川のほとりにあったらしい」と推測する。

 『大和史料』(1914年)では、通説と古道の説を両方取り上げて通説に軍配をあげる。『大和史料』の図版で興味深いのは、「とどろきのはし」として四筋の平行線が引かれ、「みどりかいけ」に通じていることだ。これは今歩道に残る3つの板石との関連を思わせる。

 通説の轟橋は樋口の蓋であって、これを橋と見るのは、古道ならずとも違和感はある。しかし、古道の従弟井橋もせいぜい小川にかかる橋でしかなく、八景に数えるには物足りなく感じる。

 うち渡る人めも絶えず行駒の踏むこそならせととろきのはし  藤原定継

 日落鐘沈テ山色淡シ  暮行歩ヲ失白雲裡
 孤村ノ煙雨笠簑重シ  一片板橋車馬轟ク    藤原冬宗


吉城川にかかる威徳井橋村井古道はこの橋を轟橋とした。


轟橋/雲井坂所在地マップ
● 参考 『奈良県の歴史散歩』(1993年) 『大和名所図会』(1791年) 『奈良坊目拙解』(1735年) 他
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