電話でのお問い合わせは0747-64-0048
大峯山奥駆道 霊場 「吉野・大峯」 魂(こころ)の道・祈り |
古の日本人は、遥かなる峰々・豊かな森・断崖絶壁などに畏敬の念を抱き、また水をうみ、生命の源と考えた山岳をね神聖な場所としてき崇めてきた。 この自然崇拝や神道と仏教などが融和したものが修験道であり、中でも大峯山「山上ヶ岳」は、我が国最初の山岳信仰の聖地として千三百年の歴史を刻み、今なお多くの修験者が山に入り自身を見つめるなど修行に訪れており、ここ天川村、大峯の山々は少なからず日本人の精神形成に影響を与えた場所といえます。 自然と一体となった景観・文化・歴史。 多くの高僧・貴人が訪れ新たなものを生み出し、また再起を促す大切な場所として、聖なる自然環境を受け継ぎ高い次元で保全しなければならないことを、多くの皆さんに理解していただかなければなりません。 |
世界遺産登録
2004年 大峯山・大峯山寺(重要文化財)を始め、紀伊山地の三大霊場を
結ぶ参詣道が世界遺産に登録されました。
今から千三百五十年前に、現在の奈良県御所市の吉祥草寺のある地で誕生した。
葛城山で修行をした「役行者」初めて修験道を大峯山(世界遺産)で開いたとされています。
役小角(えんのおづぬ)とも呼ばれていました。岩窟に籠って修行を積んだ結果、「孔雀明王」の呪術を修得し、呪文を唱えては奇跡を起こした。孔雀明王とは孔雀を神格化した仏のこと。民衆を救うために蔵王権現を祈り出たり、あるいは、雲に乗り自由に空まで飛んだりして、超能力者としても大活躍しています。これらの話は古い書物「日本霊異記」「今昔物語」伝説あるいは民話として伝えられています。役行者の両方には、生駒の山中でつかまた二匹の鬼が常に前鬼・後鬼として控えています。後鬼は洞川村の祖先とされています。役行者は、神変大菩薩とも仰がれ、また修験道を開いた元祖として、多くの人々に親しまれているまことに霊妙、不思議な方であり、現在でも厚く信仰されています。
龍泉寺~ (約10分)~ 大橋登山口・遥拝所 (P有料) ~(約20分)~ 一之瀬休 憩所~ (約35分)~一本松茶屋~ (約30分)~ お助け水~ (約25分)~ 洞辻茶屋「吉野からの合 流点」 ~(約10分)~陀羅尼助・西浦清六茶屋 (杖焼印・朱印有り)
ここから心引き締め山伏修業 磐が多い (約30分)~ (鐘掛岩の行場)~(約10分)~ お亀石~(約15分)~ 西の覗 (二の行場) ~(約15分)~ 大峯山寺(世界遺産登録・重要文化財) ~日本岩
日帰り参拝 約5時間ぐらい 余裕をもって登りましょう。
大峰山 戸明け式
|
大峯山登山 よく読んで !
・大峯山寺は5月3日の戸明け式から始まり9月23日の戸閉め式までの間参拝できます。 大峯山宿坊がありますが要予約となります。 ・山伏はもとより、一般の方でも登山できます。服装は自由 ・靴は履きなれたスポーツシューズ・登山シューズ 大峯山往復約5時間 懐中電灯・雨具の用意は忘れずに。 ・大橋登山口で登山届出をすること。 ・行場をするのは、自由です。(一人や、雨天はやめましょう) 大峯山記念や思い出にしましょう ・道中の茶屋や大峯山寺で、焼印,朱印・お札があります。 大峯山の簡単な知識 ・聖地とされた大峯山 日本人は古来山岳を神霊のすまう他界としてあがめてきた。 ・大峯山寺 金剛蔵王権現と神変大菩薩(役の行者)が祀られている。 大峯山上のお寺 ・大峯山寺 ・東南院 ・喜蔵院 ・桜本坊 ・竹林院 ・龍泉寺とがある。 機能的な山伏の姿 ・現在の山伏達は専門の修験僧もいる。 その多くは講の人達である。・自営業・職人・会社員 |
発心門・修養門 |
まず心身を清浄にし仏になる為の発心をいたします。発心門を出て人々は口であるいは 心で六根清浄を唱えながら,登って参ります。根とは私達人間の身体と心のことです。 即ち「眼耳鼻舌身意」の六つを六根といいます。 身体を清め心を浄めて修養しながら修養門をくぐります。 |
||
わらじはきかえ所 |
戦後2,3年後まで此処まで履いてきたわらじを新しいわらじと履きかえたところです。 多いときはふきんの木がわらじでいっばいになったといいます。 |
||
鐘掛け岩 |
高さ20m位の一枚岩、足の運びの順序を間違えると登れない。 只無心の状態でこの岩 を 登る 。この素直な心が鐘掛 行 場で す。 歌詠み 鐘掛けと 問うて尋ねて 来て見れば 九穴の蔵王を 下にこそみれ |
||
お亀石 |
この場所は霊域として昔からあがめられています。岩の形が亀の背に似ていますが、これは仏教の宇宙観からきた金亀島を再現されたものです。役の行者が大峯修業時この場所で 座禅され33回目のとき、真の悟りを開かれました 清浄な場所であります。 座して暝想した聖座と伝えられ聖地なるが故に 歌詠み お亀石 踏むな叩くな 杖つくな よけて通れよ 旅の新客 |
||
等覚門 |
この辺まで来ると人それぞれに覚りを開いて昨日まで住んでいた 下界とは異なったある種の感慨を抱くようになります。 | ||
鷹のとや |
その昔ある講社が此処まで来た時、心ならずも一人の新客が 役の行者を誹謗いたしました。すると突然一陣の旋風が巻き起こり新客は鷹の巣岩の頂上に吹き飛ばされました。 降りるに降りられず、前非を悔いても、始まりません。そこで先達は部下の非を法力によって、その新客の姿をカエルに変え岩を降ろさせました。 しかしそのままでは郷里へは帰れません。そこで再度法力により人間の姿に変え山を下ったと言われております。 毎年7月7日のカエルとびの故事の伝説によるものです。 |
西の覗き |
西の覗きの行は無我の境地即ち心の行です。昔は口に六文銭をくわえて今迄の罰業を懺悔し、終わった時に口を開けて六文銭を落とすということは三途の可の渡し賃を意味します。 歌詠み ありがたや 西の覗に ざんげして 弥陀の浄土に 入るぞうれしき |
||
裏行場 |
不動登り・胎内くぐり・アリの戸渡り・東の覗き・平等岩等の厳しい行場 | ||
妙覚門 |
西の覗きで全てを懺悔して、最後に悟りを開いた人くぐる門でこれを過ぎると 弥陀の浄土大峯山本堂がすぐそばにある。 嶺霧露会ガイドより |
大峯山の登山口洞川(どろがわ)にある大峯山龍泉寺は、真言宗修験(当山派)総本山醍醐寺の大本山であり、大峯山寺の護持院でもあります。
白鳳年間(645〜710)役行者(えんのぎょうじゃ)が大峯を開山し、修行していた頃、山麓の洞川に下りられ、岩場の中からこうこうと水が湧き出る泉を発見されました。役行者がその泉のほとりに八大龍王尊をお祀りし、行をしたのが龍泉寺の始まりであると伝えられています。この泉を「龍の口」と言い、この地を龍神様の住まわれる泉ということから、龍泉寺と名付けられました。
その後、修験道中興の祖、聖宝理源大師(しょうぼうりげんだいし)によって再興修行され、修験道の根本道場として修行者を迎える霊場となりました。龍の口より湧き出る清水によって満たされた池は、水行場としても名高く、修行者の身心を清める第一の行場となっています。
昭和21年(1946)洞川の大火によって、境内の建物のほとんどを焼失しましたが、昭和35年(1960)、立派に伽藍の復興がなされ、同年、女人解禁されると共に滝行場である龍王の滝も整備されました。また、境内の背に控える山は県指定の天然記念物となっており、広大な原生林が四季折々の美しい風景を楽しませてくれます。
|
|
||
|
|
||
|
|
|
|
|
|
|
|
海抜1719.5メートルの山頂にある日本山岳有数の大規模建築で、門口約24メートル、奥行約20メートル、棟高約13メートルの寄せ棟造り。内陣部分は元禄4年の建立ですが、その後、宝永3年(1706)にかけて外陣部分の拡張が行われています。毎年数万人の参詣者があり、役の行者が大峯山にて感得した蔵王権現を本尊としています
陀羅尼助丸は、昔から民衆に愛されつづけ健康のお手伝いを続けてきた胃腸の常備薬のお薬です。
陀羅尼助丸は、第3類医薬品です。
大峯山陀羅尼助丸取扱店 お電話・FAXでもご購入できます。 |
℡ 0747-64-0048 受付時間 9:00~18:00 |
fax 0747-64-0935 24時間受付中 |