奈良歴史漫歩 No.070      新薬師寺金堂跡の階段     橋川紀夫


    東西13間59mの金堂に幅52mの正面階段



 前回の「奈良歴史漫歩No.069」では出土した新薬師寺金堂跡を報告したが、さらなる調査によって新たな発見が加わった。

 11月22日に現場の一般公開があった。説明はなかったが、見聞と配布された資料をもとに再びレポートしたい。

 基壇東南隅を示すと思われた、L字型に屈曲する延石の周辺を新たに発掘すると、北へ2mほど入った地点で東西方向の延石と地覆石が出てきた。延石と地覆石は後世の側溝によって切断されていたが、さらに東へ延びる。地覆石には、羽目石がのる切れ込みがあった。新発見の延石と地覆石が壇上積み基壇本体の石組みであり、それより南に張り出す石組みの列は階段の延石であった。

 礎石据え付け穴は建物西南隅の4個が検出されていたが、さらにその西側に調査が入って、新たに2個検出された。

 最初の調査で、東南隅の延石は基壇中央から出土した延石の列の延長線上にあり、50m以上の直線距離を示すことから基壇本体の石組みと推定された。そのため階段が不明となっていた。また、検出した柱位置から延石までが6mもあるため、その間に裳階がつくと想定されていた。

 新たな発見により、基壇および建物の規模と構造が大きく書き換えられるとともに、その特異性がいっそう際立つようになった。

 階段幅は約52mとなる。これは金堂の身舎桁行き幅である。柱間は推定で、桁行き中央3間が17尺、その両側4間が15尺、廂が両側に1間13尺となる。合計して桁行き13間約59m、梁行き5間(各13尺)約19mの東西に長大な建物となり、裳階はつかない。身舎幅いっぱいの階段は、七仏薬師すべてを平等に待遇するという現れであろうか。

 今後は、史跡指定に向けて調査地はさらに拡がるだろう。金堂基壇の北と東側はまだ手づかずであるが、さいわい大部分が教育大構内に含まれ立木があるだけなので、近々の調査が期待できる。

 記録にある東西塔や僧坊、さらに講堂、回廊、中門なども所在範囲が絞られるようになった。新薬師寺関係の発掘の話題がこれから紙面を賑わすことになるかもしれない。

●「奈良歴史漫歩No.069 新薬師寺金堂跡



(上)延石の直角の屈曲(写真中央)の北側に東へ伸びる延石と地覆石が見つかった。石はすべて凝灰岩。






(左)基壇中央部分から出土した延石と雨落ち溝。
当初、基壇本体のそれと思われたが、階段であることが判明した。













(下)金堂基壇と金堂柱の推定図。11月22日の配付資料より。1は写真(上)の撮影方向。2は写真(左)の撮影方向。3は新たに見つかった礎石跡。グリッドは5m。




新薬師寺金堂跡所在地、水色の円は半径250mの範囲を示す。
●参考 11月22日現地一般公開配付資料「新薬師寺旧境内大型基壇建物遺構」奈良教育大学
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